散文

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ぼくはこうして古典と遊んでいる


散文

漢詩に関連した文章を集めた。
                               
■ 詩の形

 井伏鱒二の「厄除け詩集」に次の詩がある。

ケンチコヒシヤヨサムノバンニ
アチラコチラデブンガクカタル
サビシイ庭ニマツカサオチテ
トテモオマエハ寝ニクウゴザロ

この詩は次の漢詩を訳したものである。

   秋夜寄丘二十二員外  韋應物
懐君屬秋夜 散歩咏涼天
山空松子落 幽人應未眠

きみをおもえば あきだから
さむいよぞらに さんぽする
ひとのかげない やまおくは
まつかさだって おちるだろ

といったところか。佐藤春夫は次のように訳している。
  • 君のしのばれ長き夜を
  • 夜さむに歌ひさまよへり
  • 松かさ落ちて山しずか
  • 侘びといまだ寝ねざらん
会津八一も歌にしている。
  •  あきやま の つち に こぼるる まつ の み の おとなき よひ を きみ いぬ べし や
である。私も句にしていた。
 俳句にはろくに興味もない頃「俳句は要約である」と本で読み、なるほどと思った私は、手近にあった詩を季語にはこだわらず五七五で要約してみた。自分の表現したいことを簡潔に表現しなさいということであろうが、その時は特に表現したいことがなかったので、人の詩を要約の対象にしたのだ。中でも漢詩は格好の素材であり、この遊びにかなり興が乗り三十九篇を「漢詩に遊ぶ」にまとめた。そうしているうちに俳句もおもしろいなと実感した。この時の句が、
松かさの落ちて寝返る夜長かな

である。他の詩形と比較して悪くない。俳句の強みが出ていると思う。
 井伏の選んだ漢詩は私の好みと多少違うが、他には「春暁」がある。八一の方は四篇が同じだった。八一は「印象」に九、他に十四篇の漢詩をとりあげている。私は更に七篇についても五七五でやってみた。この時もけっこう楽しめた。その中には井伏も訳している「照鏡見白髪」(張九齢)もある。
 同じ題材の詩を対比するのはおもしろい。そして例えば、よく知られた芝不器男の俳句
  • 永き日のにはとり柵を越えにけり
 が漢詩を元にしていたことに気付くのである。


■ 日永


    永き日のにわとり柵を越えにけり    (芝不器男)

    春うらら鶏垣を飛び越えり
 

    商人を吼ゆる犬ありももの花      (与謝野蕪村)

    犬吠えて行商来たる日永かな


 この二組の句は発想がよく似ている。不器男の句は知っていたが、蕪村の句は初めてで、おやおややっていますね、あなたもですか、と、なんだか愉快になった。「どうも、どうも」というところか。

「しかし、芝さん、あの柵はまずかったんではないですか」

「そうですか」

「柵とあったので何かチカチカ異常警報が鳴りましたよ」

「全く同じではいくらなんでも気が引けますからねえ」

「ですが、柵だと飛び越えず、くぐってしまうでしょう」

「あ、そうですね、やっぱり/垣/でしたか」

「柵だと想像で作ったなと思われますよ」

「うん、意識して変えたのがまずかったかな」

「ですね」

「ううむ」

「高浜虚子という人の句に/鶏の築地をくずす日永かな/というのがありますが、これも多少似ていますね」

「うん、うん」

「そつ無く作るもんですね」

「うん、うん」

 喩えは悪いが、一人の女を介して知り合った仲のような感じであり、その辺のところが次の漢詩を読めば分かるのではないだろうか。

      四時田園雑興  范成大

    蝴蝶雙雙入菜花 日長無客到田家

    鶏飛越籬犬吠竇 知有行商来買茶

 この詩からキーワードを拾ってみると/日長/鶏飛越籬/犬吠/行商来/がある。二組の句の原詩はこれだったというわけである。この詩を素材にして他に、

    菜畑にもつれて消えた紋黄蝶

    菜の花や魚売り来る人のあり

など作った。あるいはこれらについても、同じ発想で昔の誰かが句をつくっていて、いつか出会うかもしれない。それが楽しみである。


■ 春暁


 一九九五年四月一日、日本経済新聞の朝刊の一面のコラム「春秋」の欄に土岐善麿の訳詩が引用されていた。

    春あけぼのの うすねむり

    まくらにかよう 鳥の声

    風まじりなる よべの雨

    花ちりせんか 庭もせに         (土岐善麿)

 庭もせに、とは庭も狭くなるほど、いっぱいにという意味である。

 この原詩の五言絶句「春暁」はよく知られていて、暗誦している人も多いことだろう。井伏鱒二は次のように訳している。

    ハルノネザメノウツツデ聞ケバ

    トリノナクネデ目ガサメマシタ

    ヨルノアラシハ雨マジリ

    散ッタ木ノ花イカホドバカリ    (井伏鱒二)

 「春暁」の最後の行は「花落知多少」である。

 吉川幸次郎著「新唐詩選」(岩波新書)には《……「知多少」は多少(いかほど)なるを知らんや、従って実は「不知多少」、多少(いかほど)なるを知らず、の意である。ある解釈には多少を多きことといい、たくさん散りしいたであろうと説いているが、そうではない。》とある。

 本来、訳詩は原詩の意に沿うべきだが、全体を自分の詩として再表現する場合、字句を厳密に解釈しないでもよいかと思う。

 花がどれだけ落ちようと関係ないのであれば元々ふれなかつたであろうから、やはり、落ちてしまったのではないか、と気にしている様だと解釈するのが自然であろう。

 その議論はさておき、自分でもやってみたくなった。


    はるのめざめの うつつには

    さえずるとりの にわさんわ

    よどおしふった あのあめじゃ

    ことしのはなも おしまいか


    はるのねむりの こころよさ

    とりなくこえに めざめたぞ

    しかしゆうべは よくふった

    はながちったか きにかかる


 原詩は次の通りであった。もう一度読んでみよう。

      春暁  孟浩然

    春眠不覚暁 処処聞啼鳥

    夜来風雨声 花落知多少

 読み返すと、また作ってみたくなるのである。


    うつらうつらと はるのあさ

    みみにしたしい とりのこえ

    さくやつづいた あめとかぜ

    さぞかしはなも ちっただろう


    うつらうつらの はるのあさ 

    とりなくこえが にわでする

    きのうのよるの あめかぜに

    はなもなんぼか ちったかのう


 出来、不出来を問わなければ、訳詩だとてこのように色々表現できる。まさに十人十色であろう。言葉の世界は広いのである。

 この古典的な題材を、俳句形式で表現する場合はもう少し焦点を絞る必要があろう。十七文字でも幾つかやってみた。


    鳥啼いて耳より覚めし春の朝

    まどろみて春の嵐の去りし朝


 詩というのは必ずしも自分の心だけを表現するものではない。人の心を思って表現することがある。自分なりに表現することで人の心を理解するのである。人の心を理解することで自分の世界が広がるのである。


     千里という語感


 俳句では表記についてよく取り上げられる。俳句が十七文字と短いものだからこれを重要視するのだろう。表記のことを問題にすると、例えば漢詩を翻訳することなど到底出来ないことになる。もちろんできない。解釈し解説するにすぎない。

 ただ漢詩の心を日本語の詩にすることはできそうに思う。しかし、中国と日本では景観も季節感も同じではないのだから当然限界はある。風土が違えば人生観も生活観も違ってくるだろうし、言葉も違い、語感も違うように思う。

 例えば日本語で「問題が五万とある」と言う場合、話し言葉として/五万を/沢山という意味で使うが、詩文には使うことは少ない。

 漢詩によく出てくる「千里」という言葉は必ずしも具体的な距離ではなく距離感を表わしている。よく知らないが中国には遠いというような表現がないのだろうか、また、なぜか千里という言葉に何か誇張を感じてしまうが、どうなんだろう。

 …… 千里江陵一日還

 …… 軽舟己過萬重山

この場合は小舟で千里の川を一日で下ったという雰囲気がよく出ていてそれほど誇張的とは感じない。「千」に「一」「軽」に「重」であるが、/萬重/の方に誇張を感じる。

    欲窮千里目 更上一層樓

この場合、もっと遠くまで見たいなと思ってもう一階上に登ったということだから、何も千里と言わなくていいではないか。抽象概念に欠けるのか、あるいは中国人の潜在意識の中に我を主張する心があり誇張的表現になるのではないかと思う。次の詩もこの詩の千里とよく似た表現を用いている。

    幽人惜春暮 澤上折芳草

    佳期何時還 欲寄千里道

この場合の「千里」も何キロメートルといった具体的な道のりを表現しているわけではない。「どこまでも」という感覚だろう。

以前、漢詩を素材にして作った詩をその漢詩とともに筆で書いていると、なんだか、また、遊んでみたくなって読み始めたが、この詩の「千里」という語感が気になったというわけだ。


    くれゆくはるを おしみつつ

    きしべのよもぎ つみもちて

    こののどかなる ときゆえに

    そぞろゆくべし どこまでも


こんな感じではないだろうか。一度このように訳?してみると、次からはこれを素に鑑賞すればよい。ついでに俳句を作ってみよう。


    春惜しむそぞろ歩きの堤かな


あまり面白くない。しかし、元の漢詩も漢字だけだから意味がありそうにみえるが、この程度ではないだろうか。会津八一は次の歌を作っている。

    はる たけし きしべ をぐさ つみ もちて すずろ おもふ わが とほつ びと

以前この詩を読んで下の句に多少不満を感じ、自分でもやってみた。そのときの句は/日は落ちてなお岸辺ゆく花の下/だった。今回とかなり違う。この時は千里という言葉は無視していたが、今回は「そぞろゆくべし どこまでも」と千里を意識した詩を素にして作ったからだ。しかし、どちらの俳句にも「千里」を意味する言葉はない。

ともあれ、詩の形や用いる言葉は違っても惜春の情は共通するようだ。


■ 寝正月


 向井敏著「傑作の条件」(文春文庫)は「書物や文章を材料にした、あるいはマクラにふったエッセイとごく短い文学論と、そして書評」八十篇であるが、その多様さには感心する。

 その中に「くむさかずきにはなのかげ」と題する文章がある。「井伏鱒二の小唄ぶりの訳風の軽妙洒脱はまさに絶品というに値し…」と、いわば影響を受けて、自分でも漢詩を訳しているといった内容である。私も漢詩を素材に俳句を幾つも作っていたので興味深く読んだ。

 向井は、ただの年賀状ではつまらないので漢詩を訳して賀状にする、といったことを思い立ち二十年以上続けているという。たいしたものである。

     ・・・

    草色全経細雨湿 花枝欲動春風寒

    世事浮雲何足問 不如高臥且加餐  (王維)

 ある年、王維のこの七言律詩の後半を次のように訳したそうな。

    みどりもえ

    つぼみふくらむはるじゃとて

    うきよのかぜはつめたいぞ

    ままよ ことしもねしょうがつ    (向井敏)

 そして、その年のこと、開高健が更にこれを小説の中で次のように改作したという。

    くさはうらうら あめはしとしと

    はなにはるかぜ まだつめたい

    しょんがいな しょんがいな

    ごろりちゃらりと ねしょうがつ (開高健)

 開高の改作を見て「そのころしばらく私はすこぶる機嫌がわるかった」としているが、どうして向井も、なかなかうまいものである。もちろん、その気持ちはよく分かり、「ごろりちゃらりと ねしょうがつ」には笑ってしまった。こうやられるといかにも悔しさ百倍であろう。こういう味はなかなか出せないのである。井伏より味があるかもしれない。しかし、

    柳橋から河見ればしょんがいな鴎が一羽飛んでいるよの (吉井勇)

という歌があるが、開高の/しょんがいな/からこの歌をすぐ想い浮かべていたら、まだ心のゆとりができて、開高の詩の前半のおもしろくなさの方に目がいつたかもしれない。全体としては向井の方が詩的でさらりとしたよさがある。ただ、正月と緑萌える時期は少しちぐはぐな感じがする。そこで、私も遊んでみた。


    萌え初む草に 雨そぼ降りて

    花と咲くには まだちと寒い

    まさに世界は 動いているが

    それが何じゃい 独り酒


 向井も開高も吉井も、もちろん王維にも会ったこともないが、こうして詩について書いていると何だか時を越えて親しみが出てくる。文学のよさはそんなところにあるのだろう。

 今、俳句を眺めるとその数の多さに驚き、うんざりする。俳句は類想句を嫌い、それぞれ個性があるように、と作られるから一層そう感じるのかもしれない。確かに一句一句は独立した作品であるべきだが、もう少し気楽なやりとりがあってよいように思う。


 三日見ぬ間


      湧金門見柳  貢性之

    湧金門外柳垂金 三日不来成緑陰

    折取一枝入城去 使人知道己春深

 この詩の傍線部分の意味は、/三日来ぬ間に(柳の枝に)緑陰ができていた/ということであるが、これを見たとき、ひとつの俳句を思い出した。

    世の中は三日見ぬ間に桜かな      (蓼太)

である。この句は単独では嫌みにもみえるが、状況や詩にする発想が酷似しているので、本歌取りかもしれない。本歌取りで遊んでいるのだとすると、その遊び心がおもしろく、/世の中は/という大層な表現がかえっていいのである。

 桜は遺伝子として記憶されているのだろう、二・三日暖い日が続くと一斉に咲く。その様と、忙しさにかまけるなどして季節の変化に目を向けていなかった自分にふと気付く様の取り合わせがうまく表現されている。毎年咲く桜であるが天気が悪かったり休みがとれなかったりで、案外見逃すことも多いのである。

 漢文等、古典はよく題材にされ、皆さんなかなかおもしろく作るものである。例えば、

    沙魚釣るや水村山廓酒旗の風  (服部嵐雪)

    月落烏鳴霜満天寒さかな    (斉藤緑雨)

 これらはよく知られた漢詩をそのまま取り入れて句のにしたもので、こんなものを俳句といっていいのかという程であるが、遊びが勝ち過ぎているとして否定するのは俳句の精神に反するというものである。

 よく知られた詩なので蛇足であろうが、どこに着目しているのか確認しておこう。

      江南春絶句  杜牧

    千里鶯啼緑映紅 水村山郭酒旗風

    南朝四百八十寺 多少樓台烟雨仲

      楓橋夜泊  張継

    月落烏啼霜満天 紅楓漁火対愁眠

    姑蘇城外寒山寺 夜半鐘声到客船

傍線部分である。私は後者を素材に次の句を作った。


    漁り火にもえる紅葉や鐘の音


いま読むと堅い。そこで緑雨に倣いちょっと安直俳句をやってみた。


    夜半鐘声客船に到る秋の旅


■ 無處不傷心


 唐詩選に次の五言絶句がある。

      題慈恩塔  荊叔

    漢国山河在 秦陵草樹深

    暮雲千里色 無處不傷心

 慈恩塔は西安(長安)南部にある高さ約六十四メートルの塔で、登ると東方の秦陵など周囲を見渡すことができるそうな。佐藤春夫も「玉笛譜」の中で訳しているが、絶大な権力をもった秦の始皇帝の墓も今は雑草が生い茂っていると時の流れに感じている詩である。これを読んで、二つの詩を思い出した。前半から杜甫、後半からランボーである。ランボーの詩は

    季節よ城よ無疵な心がどこにある  (ランボー)

である。原詩は知らないが、この翻訳はうまい。実にうまい。「無疵な心」には感心した。訳者は小林秀雄ということだが、彼は荊叔の詩を知っていたのだろう。翻訳するとき「無處不傷心」の部分がふっと浮かんできたかのようである。反語的な表現がよく似ている。そっくりである。このように訳されると、あたかもランボー自身が知っていたかのようである。そして、この詩を本歌取りした品川嘉也の「生涯一句」が

    季節よ城よ無疵なリンゴが剥かれいる  (品川良夜)

だそうな。

 次に、杜甫の詩だが、これはよく知られている五言律詩「春望」である。

      春望  杜甫

    國破山河在 城春草木深

    時感花濺涙 恨別鳥驚心

    烽火連三月 家書抵萬金

    渾欲不勝簪 白頭掻更短

 部分的な表現を比較すれば杜甫の方がより普遍的・抽象的で詩文としては洗練されている。

 杜甫の詩から更に、松尾芭蕉の「おくの細道」に引用され/さても義臣すぐってこの城にこもり、功名一時の叢となる。「国破れて山河在り、城春にして草青みたり」と笠打敷きて時の移るまで泪を落とし侍りぬ。

    夏草や兵どもが夢の跡

に結晶したのであった。このように本歌取りをみてゆくとおもしろいものである。私も幾つかやってみた。

    秦陵草樹深 : 夏草や栄華の跡の石ありて

    暮雲千里色 : 雲染めて夏の日落ちる彼方かな

 ランボーの方の「無疵な心がどこにある」は、日本人でこのようなとらえ方をする人は少なく、もう少し自分の身にひいて表現するだろうと思い、


    我が傷を季節と城が癒しけり


としてみた。ランボーの詩と対置するために「傷」や「季節と城」を残し用いたが普通ならこのような言葉は使わずもっと具体的な表現になるだろうし、たとえ具体的な表現ではなくともどこか甘っちょろい詩になったりする。例えば、


    秋風に恋路海岸一人旅


 こうして、「無處不傷心」という漢詩の表現のよさに改めて感心し、古典に接する楽しさを思い、俳句を作る多くの人が日本の文化を豊かにすることを願うのである。