小さな旅の記録

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小さな旅の記録         






     法隆寺・百済観音 四首

  いかるがの すらりとたかき みほとけを いこくのひとも そばでみており

○ いかるがの さとにといきて みあげたる くだらほとけの ほそきこしかな

○ つまみもつ ゆびのかたちも かろやかに くだらかんのん たちにけるかも

  きんぱくの はがれおちたる こうはいを ささえるくろき たけのふしかな

     法隆寺・金堂・壁画

  やけおちて いまはなきえを げんすんの モノクロームの しゃしんとなして

     法隆寺・伎楽面

  せんねんの むかしのすがた つたえんと ぎがくのめんの あかきいろかな

     法隆寺・玉虫の厨子 二首

  そのころは ひかりかがやく たまむしも いまはくちはて くろずみにけり

  そのずしを かざるがために いくひきの たまむしとりて むしりたりけん

 

     中宮寺

○ あまでらの もんをくぐれば にわのべに いまをさかりと やまぶきのはな

               ななえやえはなはさけどもやまぶきの

               みのひとつだになきぞわびしき 中務兼明親王

     中宮寺・弥勒菩薩

○ みぎのての ゆびをほのかに ほほによせ よのひとおもう みほとけのかお

  いにしえの ならのみやこの みやげにと ひとつのほそき ふでをもとめて

 

     奈良・春日野・万葉植物園の会津八一の石碑を思い出して

○ あきくさの いしぶみたずね かすがのの はぎのしげりの つゆにぬれつつ

               かすがのにおしてるつきのほがらかに

               あきのゆふべとなりにけるかも 八一

 

     奈良・西の京・薬師寺 二首

○ やくしじに すいえんあおぎ みるきみの そばにこぼるる はぎのはなかな

  せいりゅうが ひそむだいざに やくしぶつ かたのながれの しずかなるかな

 

     松伯美術館・上村松園画「鼓の音」(近鉄奈良線・学園前駅)

○ つづみのね きこゆるごとく そのひとの ほのかにあかき ゆびのさきかな

 

     阪急京都線・上牧、( 予約なしで行ったため、小さな建物の鉄の扉は閉まっていた )

  はつなつの かぜふきいれて きねんかん みよしたつじの うたをよむかな

               春の岬旅のをわりの鴎どり

               浮きつつ遠くなりにけるかも 達治

 

     川端康成文学館 二首

  いばらきの ぶんがくかんに やすなりを ひがさのひとと たずねゆくかな

  ガスかんを くわえあのよに ゆきしひと めだまぎょろりと かべのしゃしんに

 

     京都・河原町・近江屋

  はりまぜの びょうぶのすその けっこんよ あんさつされし へやにありしと

 

  くれないの 羅紗袖替陣羽織 うらじのどんす もえぎなりけり

  かなもじを かくかみもとめ きょうのまち なつのさかりの ひざしなるかな

  おおちょうの みやびつたえる つぎがみの ぺいじくるての しばしとまれり

 

  うたをよむ たのしさしりて するすみの かおりにしばし ときをわするる

  かけじくに したてながむる わがうたの つたなきもじを きみはわらいぬ

 

     奈良 二首

  えんてんに なおもさきたる さるすべり ふるきみやこの みほとけのかず

○ あらそいの あとのみたまを しずめんと ならにはおおき ほとけなるかな

     奈良・興福寺

  ほのくらき こくほうかんの なかにたつ こんごうりきし なににいかるや

     奈良・興福寺・阿修羅 四首

  たたかいの せかいにいきる しゅくめいと ほそきあしゅらの うでぞかなしき

  ふりぬれど そのほほいまだ いとけなく まゆねよせたる あしゅらかなしも

○ ふるびても どこかおさない かおかたち まゆねよせたる あしゅらかなしも

  ふるびても ほほにのこるは あどけなさ まゆねよせたる あしゅらかなしも

     奈良国立博物館 二首

  きんぱつに あおいめをもつ あしゅらぞう ふくげんされて ならのちにあり

○ くちびるを かみしめきっと にらみたる あしゅらのみぎの そのかおぞよき

 

     倉敷・大原美術館・棟方志功・二菩薩釈迦十大弟子

  むなかたの じゅうだいでしの まえにたち そのはくりょくに しばしもくせり

 

     興福寺

  でしたちは しずかにたてり ながきひを なまえもしらず ゆきすぎたとて

 

     文化財保護法五十年記念・特別展観・国宝・中宮寺・菩薩像 二首

  よのひとを おもうかおなる ぶつぞうを まぢかにみんと あつきひとひを

  わがつまは あいづやいちの うたをさし ともしきろとは どんないみかと

               みほとけのあごとひじとにあまでらの

               あさのひかりのともしきろかも 八一

 

     東大寺・毘慮舎那仏

  いかにして このだいぶつを つくりしや そのプロジェクト おもいえがきて

     東大寺・金剛力士

  いくたびか たずねきてみる におうぞう そのぞうけいの たくましきかな

 

  なつのひの のこりはあれど ふくかぜの すこしあきめく よるとはなりぬ

 

     和泉市・久保惣記念美術館 二首

  こしかけて こけのあるにわ ながめれば あぶらえでなく このこけがよい

  そのいけの すいれんのはな ひらくころ しきいしのみち つたいゆくかな

 

     吹田市・千里南公園内・碑の丘

  つまときて ひとつひとつの うたよみし ひのうららかに いしぶみのおか

     墨打って浮き出る文字の白さかな

  ぽんぽんと すみうちつけて やいちのひ たくほんとるや あきのひとひを

               ひそみきてたがうつかねぞさよふけて

               ほとけもゆめにいりたまふころ 八一

  ひそみきて たがうつかねの かねのねは たたくかねのね つくかねでなく

     童謡「夕焼け小焼け」を思い出して

  みをよせて ことりがゆめを みるころに やまのおてらの かねがなるかな

  どうこうの ひとはいうなり たくほんの かみはこうちの ものをつかうと

 

  クメールの ふるきみやこの いとなみの たくほんのまえ しばしたちたり

 

     彦根城博物館

  ひこねにて すこしちいさな そのびょうぶ じゅうとごにんの すがたかたちよ

     彦根城博物館・具足

  かんとうの じしんにあわず のこりたる てんつきわきたて いふうどうどう

 

     滋賀県・佐川美術館・佐藤忠良・作

○ こしかけた ちょうこくとして なつぼうし そのまなざしは こいをすらしも

 

     たんころりんの歌

  はいくとは うたとはなにか おもうひは ちちのかしゅうを ひらきみるかな

 

     京都・泉屋博古館

  せいどうの でかいたいこに おどろいた どおしてこんな ものがあるのか

     中国5000年の謎・驚異の仮面王国・三星堆

  ちゅうじょうに めだまとびでた せいどうの さんせいたいの かめんなるかな

 

     京都・竜安寺(井上靖の詩「石庭」をふと思う)

  うつろいを うれうこころは わずらわし かれさんすいの にわぞよきかな

 

     京都

  しじょうばし ひがしにわたり いしぶみの よさのあきこの うたをよむかな

               四条橋おしろい厚き舞姫の

               額ささやかに打つあられかな 晶子

  きょくをつけ くちずさむかな このうたを きょくというには おこがましいが

 

     大阪市立陶磁美術館

  ちょうせんの やきものみんと なかのしま みよしたつじの せきひによりて

               ……

               淡くかなしきもののふるなり

               紫陽花いろのもののふるなり

               ……             達治

     大阪市立陶磁美術館・李コレクション・青花篆刻字銘壷

  おぼろづき ひとりぽっちは いやですよ せいかのつぼの うたのこころを

               莫使空対月 満懐都是春

 

     アサヒビール大山崎美術館・流政之・作

○ いつかまた このちょうこくに てをふれて こころなぐさむ ときのあるかも

 

     孤高の画家・田村一村

  アダンのき くるしいまでの かんぺきさ あまみおおしま せまりくるかな

 

  ちょうこくや えをみることで われわれは じくうをこえて ひとのこころに

 

     歌を詠み推敲す 三首

  ふとうかぶ ことばひとつを きっかけに みそひともじの あそびなるかな

  たびのあと ゆぶねのふちに あたまのせ みそひともじの あそびなるかな

○ ここちよき たびのつかれを ゆにながし みそひともじの あそびなるかな

 

  つまとゆく ちいさなたびを きろくする こんどはふゆに ゆきましょうかと

 

     大阪・万博記念公園・日本民芸館・棟方志功展

  むなかたの じゅうだいでしを またみんと きんもくせいの かおるみちゆく

 

     紅葉する夕佳亭の前に立ち

  ふゆのひは にしにかたむき きんかくの むこうにかくれ しずみゆくかな

  とめがねを つけるさぎょうを てつだいし ビーズかざりを くびにつけおり

  かきしぶで ちゃいろにそめた かみをてに としのせちかい きょうのまちゆく

 

    京都・智積院・桜の図

  ちしゃくいん いたましきかな さくらのず きんのしたじに やえのはなびら

 

     京都・清水・三首

○ きよみずの さんねんざかの いしだんを ふみつつはるの にぎわいのなか

  きよみずに はんぶんはるの きざしして いこくのひとの かおもちらほら

  まだあさき はるのかぜふく きよみずに きぎのかなたの くれそむるまち

 

     奈良・興福寺

○ せんねんの ながきつきひや はるのゆき じゅうだいでしの さみしきろかも

 

     香炉園・大谷美術館・フランス・グレ村の画家達展

  そらはれて もうすぐはるが くるころに こうろえんまで えをみにゆけり

 

     奈良・新薬師寺・二首

  しんりょくや やくしのてらの みほとけは まなこみひらき われとあいみる

  みほとけの じひのこころの ふかければ なにゆえばさら つるぎぬきけん

 

     奈良・白毫寺・四首

  あきならば はぎにうもるる いしだんを のぼりてひそか びゃくごうのてら

○ あせばみて いしだんのぼる びゃくごうじ はるかにかすむ ふたかみのやま

  たかまどの やまのふもとに たつてらの ひざつきいのる ぼさつなるかな

  さきのこる ごしきつばきの はなめでて みみなごませる うぐいすのこえ

 

○ わかくさに もえたつやまの あちらこちら いまさきにおう ふじのはなかな

○ すなずりの はなぶさながき ふじのはな はねおとたかく くまばちのとぶ

○ きりかねの もよううすれし みほとけの ころもになつの ひかりさびしも

  ただただに きょうみほんいに われはきし みろくぼさつは ほほえみており

 

     大阪・ザ・シンフォニーホール、シュトゥットガルト室内管弦楽団

  はつなつの どようのごごの ひとときを げんがくそうの おとにしたしむ

     フジコ・ヘミング

  ねんまつの えんそうかいの チケットを あまがささして ゆけどうりきれ

 

     京都

  ちおんいん やまのふもとに たつてらの いしだんたかき さんもんのうち

  むぎわらの ぼうしをとりて ひとやすみ いこくのひとも すわりおるかな

 

     大阪

  あたらしい みせがぽつぽつ ふえている みなみほりえの まちをぶらぶら

 

     奈良・橿原神宮(明治二十一年、一八八九年、創建)

  ひとけなく せみなくこえと うねびやま じんむてんのう かしはらのみや

  なぜここに こんなやしろを たてたのか ひゃくねんたてば げんぜんとして

 

  ゆくなつの こうべのまちの ひとごみに あるきつかれて ノクターンきく

 

     安土

  ごごさんじ いねかりおえし むらのみち おだのぶながの びいしきをみに

  きんとしゅの あづちのしろの てんしゅかく わがかげふみつ たずねゆくかな

○ そのみはて しろやけおちて うせるとも ひとのよなれば ぜひにおよばず

 

  しらかわの ながれにそいて いしだたみ あゆみとどめて いしぶみをよむ

               かにかくに祇園はこひし寝るときも

               枕の下を水のながるる 吉井勇

  たくぼくも よしいいさむも こいおもう それぞれのとち それぞれのかわ

               かにかくに渋民村は恋しかり

               おもいでの山おもいでの川 

               吉井勇・解説「啄木歌集・一握の砂」より

     かの人にならいて

  しゃみせんの どこかちかくに かりまくら かわのながれの おとをききつつ

 

 

     小さな旅の記録(そのニ)

 

 

     開いてなく見られなかったが、写真で見た絵を思い出して  2002年、正月

  あらたまの としのへいわを いのるかな シルクロードの えのまえにたち

 



あとがき

 

 これは妻と二人の小さな旅の記録である

 「小さな旅の記録」の前、「緑の記録」を書き始めた頃から、俳句はあまり作ってない。季節はあるが記録のように時が経たず、何か疲れるからかもしれない。

 時々作る。データベースで確認すると 3646 句だった。簡潔な俳句はやはり自分の表現形式のひとつだからだ。

 

    春風や君は真っ直ぐ僕の眼を

    唇に君のくちびるさくらんぼ

 

 作るというより、ただ、五七五で書き留めるにすぎない。

 俳句は記録に向いてなく、歌の方が向いているが、「小さな旅の記録」も記録性は強くない。それは/もののけのいまちりそめしさくらかな/といった句は作るが、人事や世事に関心が薄いからだろう。しかし、二人で旅した事実を元に作るので他者と共有する可能性のある世界だ。

 一般に内的世界を表現したものより、外的世界を表現したものの方が、人はよく分かる。例えば、中宮寺の弥勒菩薩の「みぎのての ゆびをほのかに ほほによせ よのひとおもう みほとけのかお」という歌にしても、様々な視点があり様々な思いがあるので、人は歌を介して菩薩を見、菩薩を介して歌を読むことができる。

 記録は、記録された時に単独であっても、潜在的に他の記録と関係があり、時間が経つと記録した本人の意識や意図とは無関係に存在し、自分自身が読み返しても記録した時点と違った見方をすることもあり繰り返して読むことになる。

 

付記

 

 百首になったところで二十首選んで、○印を付けた。選ぶことは作ることより難しいが、区切りをつけ選ぶことで、更に作ることができる。

 百一首から(そのニ)とした。